ありそでなかった・ヤクパンとパン太の話 (推論を交えたウソ話w)
2010年 03月 23日
気象庁のバカは、桜の開花予想をイジけて・やんなくなっちまいましたが、靖国っちの【標準木】が
開花した・って、まだ一つか二つじゃねえかよw 毎年バカだな・報道の連中もよぉw
世の中・ソメイタンだけが桜じゃあないんだよ。今日行ってきた・満開の桜 in 東所沢。
当然、ぺんぺん達もお出掛け。この場所は、ローカルながら夕方のニュースでも紹介される程
関東近辺で、一週間以上・早く咲くという事で有名な所です。所沢市立東中学校の真裏ですが、
学校裏のこの場所に車で入ってゆくのは、相当の勇気が必要です。道幅が桜の場所以外・極狭wで
ほぼ車の車幅のまま直角に曲がる事多数w もし、反対から車が来たら、【全バック】を強いられますw。
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最近・チャットは大人の事情で【参加してない】んだが、その所で最近フリートークに逃げてんじゃね?
的な事を書かれてしまったんだが、私の昔の【ステカム】放送を知っている方なら、模型製作を実況放送
していながら模型の事は全く出て来ないw というスタイルが【本来】の模型製作スタンスw でもあるんだな。
かと言って、たまに語ると、「何・偉そうに」とか書かれるし、つまり何書いてもクレームなら何書いてもオケw
でも、そういう事書かれっと、「んなワケ無えだろ・おぇえぇえぇ~!」ってなってしまって、今現在放置中の
ヤクパン製作がてら書こうと思ってた事まで、引っ張り出さざるを得なくなってしまったw。ネタ一日分返せw
そもそもヤクパンというのは、車体側面の形状からして【G】の発展型のように感じるかもしれないが、
実は、プロトが出来たのが、43年の10月でありまして、パン太のG型の生産開始は、44年3月から。
つまり、ヤクパンあってのパン太・Gなのであります。でも問題は、そこではありません。エンジンデッキの
形状が今ひとつ納得出来ないまま、今日に至っている・という事なのです。それはまずグリル形状。
というか、ここからは主に私の疑問がらみの話となりますので、半ば検証出来る資料・写真も無いまま
進めてしまう事を御容赦下さい。私のもっていない本の【パントラ】のヤクパン特集では、ヤクパンの
戦闘室後面の角度は2種類あって、それは【A型パネル】を使用しているから・角度が立っていて、
【G型】に使用されているラジエーターグリル(つまり前後幅狭)を使用しているタイプは角度が寝ている。
という話らしいんですが、それが的確に分かる写真自体が私自身が自信を持って出せない事と、
元々【プロト】以外は、【幅狭】グリルで生産されたから、写真で明確に区別出来ないのでは無いか?(※1)
という点と、初期型に位置する【幅狭】グリルは、ヤクパンの為に作られた物だろうという事(※2)です。
だから、良く言われる【G型グリル】という表記も(生産時期からして)間違っているのでは?という事です。
(※1)の推論の理由としては、プロトでは、当然生産ラインにあった【A型グリル】で作ってみたんだが、
砲の後座長や、砲弾スペースからして、A型のようなエンジンデッキより、ラジエーターグリルが前進
している車体では、(その位置を戦闘室後面とすると)内部スペースに無理があり、その為に【幅狭】グリル
が【ヤクパン専用】部品として製作されて、以降のヤクパン初期型に受け継がれていったのでは?
それにヤクパンの車体側面後部がスムースなラインであるのは、【パン太Ⅰ型】流用車体だからです。
【パンⅠ】車体はパンターD・Aの【製造簡略型車体】である事。時期駆逐戦車導入の際には、そういった
案があるなら、改良車体で臨むのが本筋。つまり、D・A車体は既に【旧モデル】であったという事。
で、新・パンⅠ車体側面を上方に立ち上げて形作った時に、旧パンAのグリル装着で問題があって
それで【幅狭】グリルが新規導入されたとしたら、ヤクパン初期型の前後のグリル違いも合点する(※2)
だから逆にプロトの写真からも角度に違いを感じられないという事は【Aデッキ】のヤクパンは無いと(※3)
で、今度は【パン太G型】の生産開始の伴い、ヤクパン初期に付いていた【後部のA型グリル】も品薄となり、
ヤクパン中期からはラジエーターグリルは全て【幅狭グリル】で統一され、部品前後幅の差異は鉄板で
塞がれたのではと思う。だから戦車型の【G型】は、最初から【幅狭グリル】で生産されているのであると。
(※3)だから、ヤクパンAグリル流用も存在しないし、【パントラ】に記述も逆に疑問視(個人的に)する。
でも、私はその説を押しながらでも、【Aグリル流用のヤクパン】(角度違い)を再現したい衝動に駆られる。
その理由として、戦車型の【パンターG型】の図面の中に【Aグリル流用】のパン太が描かれているからだ。
これは【無い】と思う。ドイルタンの強烈な【思い込み】ではないかと… (間違いとは言いたくありません)
この図は、確か【モタブフ】の本の・日本語翻訳版(大日本絵画)から出てる本の、【P169】にあります。
これが甚だ疑問なのは、余った部品を使うだろ・というのも捨てきれませんが、ヤクパン生産後だからです。
せっかく生産簡易車体としたエンジンデッキと、旧エンジンデッキを平行で生産するか?という点。(※4)
つまり、【パンⅠ車体】流用のヤクパンから戦車型に戻すのにエンジンデッキまで【A型】にするか?(※4)
それが写真が(今の所)一枚も出ていないのにも関連するのでは?と思う。なんて私だけ知らないのも恥
かもしれないが、推論なので書いてみる。もし、あるとするならば、当時生産ラインのヤクパン同様に
前後でグリルの幅が違うタイプなら、存在の可能性があったのでは?とも逆に思う。(G極初期として)
でも、この図面を信じたかどうかは知らないが、グンゼ・ハイテクG初期型が、まんま【ドイル仕様】w。
さすがに昔のHJでも山田氏が、これをA型に流用してグレードアップしてる・(つまり不要部品としてw)位
しか、その作例を見ないのだが、私は逆にこのグリルを流用して、【Aデッキ流用】のヤクパンを作って
みたいと思っている。その方が時系列的にも無理は無いし、Aデッキヤクパンを信じていなくても、
パントラ説を信じていなくても、「こういったのもアリかも?」的なノリで製作したみたいのだ。近々にもw。
コレぐらい・推論でも書けば納得してくれるかな?けど、hide様やデカマさんに【一発否定】されそうだなw
※ それに現表記のヤクパンG1・G2についても、今回は全く触れていません。それはまた後日…
ちなみに ↑ は、模型としての変遷w 左からハイテクw のヤクパン、パンG初期型(Aグリル使用)、
ハイテクG後期型、んでもって右はイタレリのヤクパン。なんか、夏に日焼けがてら車体を接着して
セロテープで固定したまま放置してたおかげで(両ヤクパンw)セロテ跡が全開なんですけど…(号泣w)
あと、廉価版のヤクパン初期もあるし、2010年はヤクパンの年となるのか?(ならねーよwww)