計画退避でポポポポ~ン
2011年 04月 12日
ってか、【地震】あったなw。あった事は認める。だが、東京湾とか東南海とか富士山とか、
挙げ句の果てには【4時】時間指定… って宅急便かっ!w。つよぽん・みたく【5時】にすれば…
つか、場所とか・特定し過ぎだよね。予言っつうのは【確度】よか、起きるか起きないか・が大事。
せっかく、地震ってぇのは当たったのに、震源が大外れじゃ、ただの余震扱い・これじゃ予言じゃないw。
オメ・キラッとかしてる場合かよw
私の予言とは日付がずれてしまったが、結局・飯館村は避難させるハメに。日付がずれたのは、
単に指摘を【認めたくない】民主脳の仕業だよ。逆に高濃度汚染地域の住民を避難させなかったのは
【犯罪】だろ。あんだけ学者だ識者だ・15人も参与としてブッ込んでおいて結局それかよw
放射性物質は半径じゃねぇんだよ、風向きなんだよな。逆に俺様の方が的確過ぎんだろよ・オイw。
と、いう訳で源八が「ハ~イw」しちまった時は、長野から新潟へ逃げる事をお薦め致します。
ってか、糞民主のこういった【後手後手対応】は私としては【大歓迎】です。該当地域の方は
迷惑なんだが、これで全員が【民主嫌い】にw。源八もそうだが、震災の対応不手際で、糞民主は
【必ずや失敗する】w・って震災直後に俺様は予言してあっかんねw なんでかって?糞だからに
決まってんじゃんよ。最早・革マル豚枝野なんて【ただちに詐欺】扱いで、完全に右肩下がりwww
貴方は急降下~アアア♪だよなw。
また、この豚の言い草が「安全だが避難してもらう」とか、バカなの?この豚?っつう感じwww
で、期限を「一ヶ月を目処に…」とか、民主独特の【嘘八百】炸裂。もう一生戻れないよ。
豚のダンスwで、目が汚れちまった人は、こちらの【本家】の歌で自浄して下さいませw。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
さて、昨日言った通り・2チョンwでの【パン太】論争wでありますが、事の発端はパン太・Gに
おいて【顎付き防盾】で、ヒーター無しが存在するか否か・だったと思うのですよ。
ただ、私としては・ごっぐタンを擁護するとか、そういうつもりはありません。何故なら源八問題で
あまりに【お花畑的】な楽観論者に同意など出来ないんですよ、心情的にも実際問題としても。
結論から言うと、顎付きヒーター無し存在せず。
という結果となりました。写真が無いから・というのではなく、レトロフィットもないかと。
この車体は綱製転輪のテスト用として有名だが、この写真の撮影日は44年9月という事です。
けれど、後に10月に採用となる【新型ヒーター】が装着されているのに注意して欲しいのです。
9月から採用されていたのでは無く、テストを経て10月に本採用された・という事だろう。
この点は別の方からも指摘があった通り。この車両にはまだ【顎付き防盾】ではないのにも注目。
こうやってみると、顎付き防盾は、この段階では【優先度】が低かったように思われるんですよ。
色々な写真をみると、【顎無し・ヒーター付き】の写真が多いのに、今更ながら気付く。
顎付き防盾が先・というより、ヒーター付き車両が先。という気がする。
ヒーターが実際は11月から装着されていたというなら、顎付き防盾は更に後という事になるのでは。
顎付き防縦が10月から採用された・という割りには、ヒーター付きの方が多いような気が…
戦車は戦闘が第一で、乗員の快適度は二の次にされがちなんだが、パン太の場合には、快適度を
優先させたようにも思える。実践では乗員の命の方が大事だと思うなら、防盾を優先する筈だが。
あと、ヒーターを未装着のG型に装着(レトロフィット)出来るのかというのも、大いに疑問です
空気(暖気)の流れはファンの脇を通り、エンジンデッキ内を通り、戦闘室区間に入る。
【新型】ヒーターユニット・という事は、【旧型】がある筈。新型のユニットはグリル部分の交換
ではなく、エンジンデッキに切り欠きがある部品が必要になってくる。問題はそれだけでは無い。
それらを導く管や、それらを内部で支持するステー等も違ってくるのは明白。そうまでするか?
この吸気補助ファン部は、ヤクパンの補助吸気管付きマフラーとも連動する。
ヤクパンは、元々【パンターⅠ型】(パンA・D車体の簡易生産型)からきているのは、以前書いた
通りです。パンⅠは、その後G型車体となりますが、パンⅠは駆逐戦車としても流用出来るようにとの
【別指令】も受けていました。ヤクパンの生産はパンGより【前】です。その頃のパン太は【A型】
を生産していた関係で、エンジンデッキは【A型】に準ずる(流用する)部品を使用していました。
その【A型】用の排気管の両脇に【吸気管】を追加した管が何故・必要になったか考えてみて下さい
左側のグリル内部のファンを【逆回転】させる事で旧ユニットは暖気を社内に導いていました。
ところが、この方法だと、エンジン片側だけが冷却されず、性能的にも不安定な物になりました。
その為に、排気管両側からファンの空気の流れを利用して左排気管を冷却する必要がありました。
この絵は右側を示していますが、実際は左側です。(右にも使用していたとの話もありますが)
この後パンⅠ(実際はG型)の生産を受けて、ヤクパンもG型に準じたエンジンデッキを使用する
事となります。MIAG社は10月からとなり、他も12月にはG型エンジンデッキ採用となります。
パンGも(角形の吸気ファン採用)により、補助吸気管付きマフラーは廃止となりました。
つまり角形ファン採用により、新たな左側排気管の冷却経路が出来た事となったのが分かる。
で、既に初期・パンGに冷却経路が存在しているのに、修理時にワザワザエンジンデッキから
配管等をそっくり交換する必要があるのか?と言えば(ドイツ人の几帳面さも捨て難いんだが)、
それはどうか…と、思わざるを得ない。新型ヒーターは問題があったので採用になったとは思えず
さらなる性能向上を目指した・兵士に優しい【快適使用】なのでは・と私は思うのですよ。
ただ、物には例外というのがあるのも事実。この消炎排気管装備のヤクパンは古くから有名。
考えられるのは、バックファイヤー等の【炎】を見せないような改良が当時から検討されていたか。
このヤクパンはHJの75年あたりにも掲載されてましたね。形式は中期型なのでエンジンデッキは
当然・A型デッキが想像出来ます。パンAとかには採用されていないのが謎の排気管ですが、
それは後にG型最後期型になって、やっと採用されるのですがそれもまた不明点が多いです。
カナダ軍によって撮影された車両です。ただ資料ではMNH社では45年3月でも、この補助管付き
の車輌を生産していた・という記述もある位ですから、何事も「全くない」と全否定は出来ませんが
要するに、自分はこう思う(推測する)というのは、趣味なので自由だと思う。まして実車の考証と
いう物は、最早・【考古学】に近い気がする。耶馬台国一つとっても色々な説がある。皆それぞれの
主張があるのも事実。ただ、今回の【説】には賛同しかねる・というのが私の見解。だが全否定では
無いのも事実。新しい事実が発見されない限り真実は分からない。あるのは既存の写真しかないから
というか、資料の日付に左右され過ぎているかな?と思うのも事実。入試とは違うんだからねw。
しっかし、源八が【レベル7】とか言う前に地震で殺されちまいそうだなw こりゃ。